
「ヒト」「歴史」「場」の三つ編み
◆世界遺産に負けない、世羅(せら)遺産の「経木(きょうぎ)帽子づくり」。それは、地域に息づく「ヒト」と「歴史」と「場」の三つ編みでできています。 私事(わたくしごと)で恐縮ですが、私は、世羅郡世羅町(旧甲山町)の出身です。 "世羅は、中国山地の中腹に位置する、四方を山に囲まれた典型的な盆地。そこは、かつて「大田庄(おおたのしょう)」と呼ばれ、平安の昔から米作りで栄えた土地。ここでできた米を運び出すために尾道に港が開かれ、それが今の尾道の礎となった。"と聞かされて育ってきました。 世羅の歴史と言えばそれが当たり前であり、正直に言うと、それ以外の歴史を特に聞いたことがありませんでした。ましてや、米作り以外の産業が栄えていたとは想像がつきません。 ところが、です。今回の授業「セラのナリワイをマナブ~全国シェア8割!伝説の一大産業」の主役となった「経木帽子(きょうぎぼうし)づくり」。この手工業は、100年前には世羅が日本一生産量を誇る産業であったというのです。それは、親から話は聞いてはいたけどなんとなく実感のわかない、伝説というより幻のような話に思っていましたが、今回の授業を通じて、私にとって知らない世羅の歴史が、実感をもって自分の中に沁み込んできました。 当日の様子は、参加者であり素敵なレポートを書いて、動画までアップしている吉宗さんにお譲りし、ここでは少し違った角度でみなさんと授業をシェアしたいと思います。 ※当日の参加者・吉宗さんのレポート・動画 (レポート) https://www.facebook.com/fukuchiin.imakouya/posts/2068048686814155 (動画) https://www.facebook.com/fukuchiin.imakouya/videos/2068264466792577/ それは、今回の授業の特徴は、単なる歴史の勉強でも体験型ワークショップでもない、「歴史」と「ヒト」と「場」の三つ編みをその場にいるみんなで編んでいくような、楽しさと手づくりの喜びにあふれる、まさにクリエイティブな時空間だったということです。 (1)歴史 教科書で語られることのない、世羅という土地に根ざした「ナリワイ(生業)」の歴史。それを感じるのにぴったりの経木帽子づくりのお話でした。 そもそも原料である白木がたくさんあることから、大正時代に世羅で経木を編む仕事が盛んになったとそうです。それは、稲作は盛んであるものの、米以外の食材を買う現金収入がなく、また稲作ができない農閑期の仕事として、経木編みは世羅で広まったのだと言います。 昭和に入ると、編んだ経木をミシンで縫い付け製帽までするようになります。利益も増え、産業として大きく発展していきました。「作った分だけお金がもらえる」ということで、当時は、夕飯後は世羅の家ではみんなが黙々と経木を編んでいたようです。実際に、世羅に住むある年齢から上の人は、編み方が体に染みついており、経木の話をするとすぐに編み込む手つきをしてくれます。また収入が増え、生活レベルが上がった人たちも少なくなかったようです。 最盛期には中国や朝鮮半島など海外への輸出もありましたが、昭和30年ごろになると、原材料の経木が減り、ビニール製品に押され、さらにファッション性が重視されるようになり経木帽子が衰退していったのだそうです。 そして平成の時代になると、経木帽子づくりは、もはや世羅では伝説となってしまいました。 (2)ヒト そうした歴史を語ってくださったのが、世羅の物知りガイドの兼丸さん。その情報量は、圧倒的で、しかも出来事の年月や描写まで正確に記憶されていて、まさに「世羅の生き字引」。けれども語り口は柔らかで、自分のおじいちゃんの体験談を聞いているかのような心地良さを醸し出されていました。 その兼丸さんの話を寄り添い、準備した当時の道具や残された帽子の現物、映像や写真を使って、みんなにわかりやすいよう丁寧にサポートする、今回の企画の考案者の釣井さん。ワークショップで取り組んだ「貴重な経木を使ってのしおりづくり」は大好評。それまで走り回っていた子どもたちも、白い2本の経木を使って三つ編みを始めると、 「これ、どうやるん?」「ようわからん」「せんせー」「これで、ええ?」「やったー!」 と釣井先生、兼丸先生にくっついて、夢中になって手を動かしました。大人は大人で、よくわからず、初めて会った隣の人にいつの間にか編み方を習っていたり、世代も何もかもが自然とつながり一つの大きな大きな家族のようでした。 (3)場所 こうして人々が集い、参加者みんなで手を動かした場所は、180年を超える古い建物をリノベーションした「雪月風花 福智院」。世羅を代表するスポットである今高野山の参道の途中にある建物で、かつて宿坊として使われていたそうです。その居心地はとてもよく、交流会では世羅茶や地元のお菓子屋・大手門の茶菓子でおもてなし、参加者を緊張させることなく適度に自由で気持ちよく居座らせてくれました。 こうした3つの力が合わさりながらみんなで学んだ時間は、歴史を過去の古いものとしてではなく、自分が体験し語ることのできる新しい歴史として再発見することができました。 また、「ナリワイをマナブ」シリーズや「兼丸さんのお話」シリーズなど、これからもこの場所でこうした授業が創り出される予感を感じさせながら、この日の授業は終了しました。
■レポート/岡本 泰志 ■写真/吉宗 五十鈴
------------------------------------------------------------ <授業詳細>
みなさんは世羅町といえば何をイメージしますか?
花農園、果物、ワイン、それとも世羅高校、駅伝… いえいえ、それだけではありません! 想像がつかないかもしれませんが、かつて世羅町には全国シェア8割を占める伝説の一大産業がありました。 それが「経木帽子(きょうぎぼうし)製造」です。

みなさんがよく知っている麦わら帽子と形や作り方は同じですが、経木帽子は紙テープのように薄く削った木の帯(経木)を編み、平たい紐状にしたものをミシン掛けして作ります。
