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教えて、歴清社さん ~世界で唯一の箔押し技術~

2019/04/13

金箔の可能性をクリエイトし続ける 歴清社 

 

世界一の箔押し技術を持った会社が広島にあるって!?京都じゃなくて??金箔の会社、と聞いて、伝統工芸品を作っているのだろうと想像しませんか?私はしました。歴清社のことを全く知らないまま、これは参加しなくては!と思った工芸好きの私は、今回レポーターとして潜入させていただきました。潜入というのも大袈裟ではありません。歴清社はB to Bの会社ですので、一般のお客さんが訪れる機会はほぼ無し。商談に使われるショールームから先は撮影禁止のため、今回の授業は貴重な見学の機会となりました。

 

 

秘密の工場へ

参加者全員ショールームに集合の後、軽快な久永社長のトークに促されて工場へ。その前に、ちょっと変わったデザインの階段を3段登ります。ここで質問です。「この三角形の頂点の角度は何度でしょう?」 

(ここの角度です、と久永社長からのクイズです)

 

(工場へと向かう、変わったデザインの階段を拡大してみると…)
 

どうですか?場が盛り上がる前にカメラスタッフがあっさりと正解を答えてしまったのですが(笑)正解は「108度」。煩悩の数です。ここで煩悩を払ってから工場へお進みください、とのこと。階段をあがり、ドアを開けると工場の建物に続く狭い通路に出ます。

 

通路脇には掲示板が設けられていて、歴清社がこれまでに掲載された記事がたくさん貼られていました。広島地場の有名企業として、マツダ、カルビー、モルテン、ダイソー等、そうそうたる全国区の会社と並んで紹介されています。広島駅の待合室、五つ星ホテルやスカイツリーなどの内装に歴清社の金紙が使われている写真も。どうもこの会社の商品はいわゆる伝統工芸品とは随分違うようです。

 

久永社長が強調されたのは、「箔押しによる金紙の製造というと、伝統技術を守るばかりの古い体質の製造業だと思われがちですが、歴清社は商人から出発しています。工夫とアイディアで問題を解決し、新しい事業にチャレンジしてきました。」と。社員さんのユニホームにしても、トラッドカジュアルなジャケットにチノパンです。どうも想像していたような日本文化の継承、とか、職人の技とこだわり、なんていうのとは違うのかな?いったいどのような商品をどのような工程で作っているのでしょう。

 

 

歴清社の歴史

工場でどんな商品が作られているかを見る前に、まずは会社ができる以前、久永家のお話しから。久永社長のご先祖は浅野藩と共に広島にやって来て根付いた商人、刀剣商だったそうです。しかし明治の廃刀令によって刀剣を扱う事が出来なくなったため、新たな商品を売買する必要に迫られました。そのため香炉、掛け軸等の調度品を扱っていたのですが、その中で一番引き合いのあるのが金屏風だったそうです。ホテルや宴会場のない時代、旧家や大地主などの階級は家でお祝い事を行うため金屏風は必需品であったのだとか。扱いたくても商品は高価で少なく、だったら自分で作っちゃおうと考えました。しかし、いきなり作ってみたところで京都製には負ける、どうしよう…。そんなとき、かつて久永家のあった堀川町のご近所の仏具屋さんに額縁屋さんを紹介され、この課題をクリアするヒントを得ます。額縁の金色は本当の金を使っているのではなく、洋金(銅と亜鉛の合金)を使っているのだと。そこでこの洋金箔で金屏風を作る事を考えつきます。なんと本金の10分の一の価格で、同じような商品が作れる!!

 

 

開発努力

こうして歴清社の前身である「久永清次郎商店」は金紙工場として1905年に創業するのですが、実は洋金の屏風はそう簡単には作れなかった。色は本金と遜色のない洋金ですが4倍の厚さがあります。本金の0.1ミクロンに比べ、洋金は0.4ミクロン。また和紙の上に貼るには専用の接着剤が必要で、その上、洋金は変色しやすい。指で触れると触れた部分の色が変わってしまいます。これを防がなくては売り物になりません。創業者は10年の歳月をかけて洋金に合った接着剤とトップコートを開発。これにより、安定して良い商品を作る事が出来るようになりました。その後、時代の変化によって会社の歩みは平坦ではないながらも、注文をどんどん増やし、新しい素材や分野にチャレンジしながら現在に至っています。創業者の開発したこの接着・上留技術は、現在も変わることなく、歴清社を支える強さの秘密になっています。

 

 

工場見学

工場内部は、サイズ小さめの木造建築。戦後に小学校を移築したものを今でも使っているとのこと。古い建物好きにはたまらない建築物です。しっかりとした木の階段も、手すりも、すっかり角がとれています。階段を上った3階には、箔押しの部屋など作業をする部屋がいくつかあり、何人もの職人さんが作業中でした。あ、しかしあえて職人と呼ばず、クリエイターと呼びましょう。確かに箔押し技術は職人技ですが、常に新しい商品の開発を行われているとのこと!なんとも楽しそう!!

 

パーテーションで仕切られたスペースには、それぞれに出来上がり製品大の板が斜めに立てられ、その上に接着剤が塗布済みの紙(箔を貼るための台紙)が広げられています。台紙は機械漉きの越前和紙。その上に竹ばさみ(竹製のピンセット状の道具)を使って、立ったまま左から右へと移動しながら一枚ずつ薄い箔を台紙いっぱいに張っていきます。長いものだと何人かで並んで同時に作業されていました。見ていると、息を止めてやってるんだろうなと思うような、気を遣う作業です。

 

私達が一般に想像する金屏風の貼り方を「平押し」というそうです。遠目には金一色だけれど、かすかに正方形の箔の継ぎ目が見えるものです。台紙が覗かないよう、わざと少し重なるように箔を張り付けていき、最後に専用の道具、ダンゴ(綿をまるめたもの)で余分の箔を払い落としていきます。この時出た金属クズで、紙に傷をつけないよう力加減に注意し、かつ検品も同時に行うとのことでした。これも気を遣う作業ですね。たくさんクズが出るのでもったいないようですが、これはまた別のデザインに利用できます。

 

他にも、金紙を製造した上にわざとシワ加工した薄絹布を張り付けたり、木枠にひもを張った型を作って平押しの上に柄を付けたりと、同じ作業を繰り返すだけではなく、様々な新しいデザインを考案し続けているそうです。金属箔の種類も、洋金の他に錫箔(すずはく)、銀箔等がありそれぞれに独特の色味、輝きがあります。見学しているときにちょうど、本金箔を貼ったものがありました。とんでもなく高いので、近寄らないでね、との注意を受けて遠目に見たのですが、素人目には洋金との違いはわかりませんでした。

 

大きな建物の壁面を彩るこの会社の金紙ですが、その製造工程は小規模な工房と変わらぬもの。きっと金沢や京都でも同じ様子ではないでしょうか?何しろ煙突が建っている部屋、乾燥炉とそこに紙を送るコンベヤーだけがこの工場の唯一の機械工程なのだとか。それにしたって、手作業で紙の幅と同じ幅の大きな刷毛を使って、接着剤やトップコートを塗り、コンベヤーにのせて送り込んでいるので、自動化された機械が行うのではありません。工房というには大きい、しかし工場と呼ぶには機械の音のしない、人が動いている工場です。こうして作られたものが、現代の大きくて最先端の建築に使用されているというギャップが面白いと感じました。

 

 

被爆建物と歴清社社名の由来 

一階からさらに階段を降りると、地下倉庫があります。ここが被爆建物とされている部分で、この上に工場が建っていることになります。爆心地から2.2キロの歴清社。現在は薬品庫、昔は箔倉庫だったそうで、天井はコンクリート、壁面はコンクリートの柱にレンガを組んだものなので原爆で破壊されずに残りました。天井のコンクリート打設跡に当時の仕事を見ることができます。コンパネではなく幅の狭い板を使っている跡、その板の凹凸や、“宇部興産”の文字が見えるセメント袋の一部が残っていたり、コンクリートに混ざっているのが丸石だったりと時代を感じさせます。これともう一つ、歴清社のシンボルとなる煙突も被爆した建造物です。

 

 (歴清社の工場を外から撮影したものです。シンボルである煙突が見えます)


 

原爆ですっかり焼けてしまった三篠工場。しかし煙突は焼け残り、辺りの目印になりました。そしてここを拠り所として人々は煙突の周りに集まり、身を寄せて生活を始めたそうです。戦争により久永家は再び事業存続の危機を迎えましたが、物資のない中、コールタールを塗り撥水加工をした防水紙を屋根材として販売。戦後の復興を助けることが新たな事業になりました。このコールタールの和名が「瀝青」。サンズイの位置を変えて「歴清」。原爆で工場を失った、戦後立て直しすぐの事業が新たな社名のもとになったのです。

 

倉庫は工場の中ですし、煙突も遠目にしか見ることができないため、現在一般の人がその存在を見ることができないのですが、今後なんらかの方法で公開したいと考えていらっしゃるそうです。倉庫は裏の通りまで続いているので、そちらから入れるようにしてもいいかなー、などとも言われていました。ここまで保たれている被爆建造物、是非一般への公開が出来るようになりますよう。そして、出来れば久永社長のトークでご案内いただければなぁ、と願っています。

 

 

開発体験

ぐるりと工場見学を終えてショールームに戻り、コーヒーを頂きました。金箔が浮いている!このコーヒーに使われた「金のふりかけ」は今後ギフトショーで前面に出していこうとしている商品だそうです。そこで、「もし、あなたが歴清社の開発担当だったら、ギフトショーでこのふりかけをどう提案する?」を参加者の皆さんと考えることに。グループに分かれてアイディアを出し合ったのですが、食品にふりかけるのみならず、金箔風呂を設置したらどうか?などなど、皆、それぞれに面白がっていろいろとアイディア出し合い、最後は参加者同士が交流する楽しい時間となりました。

 

(「金のふりかけ」が入ったコーヒーのおもてなしに、みなさん心を掴まれました!)

 

(久永社長も加わって、「金のふりかけ」をどう商品展開するかを考えました)

 

 

これまでの壁紙の分野では、問屋の望む商品を作るということから逸れることが難しかったとのことですが、アパレルなどの異業種であれば逆提案がしやすい事、そして自由で新しい提案が出来る事に気付き、紙以外の素材への箔押しも展開されています。例えば、ラルフローレンの店舗テントにロゴマークの箔押し。テントのような撥水素材への箔押しは難しいに違いないのですが、野外での使用に耐える実用性があり、かつ美しい仕上がりで受注を獲得したとのことでした。

 

 (箔押しされた皮のベスト。洋服にも箔押しができるなんて、高級感あるかっこいいデザインです!)

 

久永社長は創業者から続く、新しい分野へのチャレンジ精神がこの会社の生き残りの鍵となっていることを強調されていましたが、クリエイターさんと確かな技術に裏付けられているからこそできる飛躍であり、そのどちらも持っているという事が歴清社の強みなのかなぁ、と工場を見学させていただいて感じました。ちなみに現在の会社のキャッチコピーは「空気と水以外には箔押しできます」ですって!

 

 

終わりに

時代の変化や戦争という大きな危機を乗り越え、新しいことにチャレンジし続けた歴史を持つ歴清社。伝統工芸品を作り続けるだけでは発展できない、しかし箔押しという伝統に特化しているからこそ飛躍できる。歴清社の魅力って、この何とも面白いバランスにあるのではないかと感じました。そして世界への発信手段は、最先端や大規模である必要はなく、提案が新しい事であることも大きく飛躍するきっかけになるのだ、ということを実際に見せていただきました。

 

 (最後はショールームにて、箔押しされたパネルの前で、記念撮影)

 

久永社長の軽快なトークにのせて、たくさんの内容がぎゅぎゅっと詰まった2時間半。ちまちまと綺麗で愛らしい工芸品を見せてもらうつもりであった私は、良い意味で予想を裏切られて参りました。

 

しゃべりっぱなしの久永社長、快く私達を迎え、質問や要望に応えてくださった歴清社の皆さま、ありがとうございました。

 

 

■レポート/櫻井 ちの

■写真/鹿渡 成樹

 

 

 

2019年4月13日(土)開催 教えて、歴清社さん ~世界で唯一の箔押し技術~
先生:久永 朋幸 (株式会社歴清社 六代目 代表取締役社長)
教室:株式会社 歴清社

参加学生さんからのレポート(感想)

・ひろしまジン大学の授業に出るのは今回が初めてでしたが、とても興味深い授業でした。先生の話に聞き入っていたら、あっという間に授業が終わったという感じです。自分が持っていた「箔」のイメージより、もっともっといろいろな「箔」の世界があるのだと学びました。

 

・このような企業さんが広島にあることを誇りに思うと同時に、こんな個々の企業さんなどが広島の街の魅力(奥深さ)を形作っている大切な要素であることを改めて実感しました。

 

・歴史、企業努力、社会貢献、こだわりとビジョンがはっきりと伝わってきました!・広島にずっと住んでいますが、歴清社さんのことはこれまで存じ上げませんでした。仕事の内容の内容がすばらしいのは当然でしたが、これまでの歴史、被爆建物としての歴史的価値を受け継ぐ姿勢にも感激しています。

 

・クリエイターの余韻が残る有意義な授業でした。特に授業の最後に「金のふりかけ」をテーマにみんなでアイデアを出し合う時間はクリエイターになったような気分でした。自由な発想で皆と討議しながらテーマに向かって回答を模索する時間はとても刺激的な時間でした。今回の授業を通して、金箔製品の国内外のシェアを押さえた歴清社が広島にあることを知り、久永社長を筆頭としたクリエイター集団がその製品を送り出していることがよく理解できました。張り付いた状態ではキリッとした表情ですが、箔単独ではつかみどころのない不思議な金属ですね。箔製品に親しみを覚え始めました。
 

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