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​お知らせ

第三世代が考えるヒロシマ「 」継ぐ展を体験しよう!「おりづると、ヒコーキ」~川本省三さんにきく、ヒロシマのはなし

話し合う、ゆずり合う、真剣に考える

 被爆体験を聞くこと。広島に住んでいながら、今まで数回しか体験したことがありませんでした。親になった今だから聞いてみたい。『第三世代が考えるヒロシマ「 」継ぐ展』の展示会場で、語り部として活動をされている川本省三さんからお話を聞きました。

 授業は川本さんから“思い出の紙ヒコーキ”を教わることから始まりました。川本さんの周りに子どもたちが集まり、みんなで手ほどきを受けながら作っていきます。この紙ヒコーキは川本さんが子どもの頃にお母さんから教わったもの。いまのようにおもちゃがなかったので、身近にあるもので遊んでいたそう。こうしてこうやってこう折って…。川本さんの作る手を見ながら見よう見まねで、お隣同士で教え合いながら作っていきます。私が作った紙ヒコーキを川本さんにお見せすると、もう少しかっこよくなるよとハサミでちゃちゃっと翼の部分を手直し。「これ飛ぶと思うよ」と、ヒューっと紙ヒコーキを飛ばしながら教えて下さる川本さんも楽しそうです。みんなで作るうちに自然と会話も生まれます。

 紙ヒコーキを作った後、川本さんから被爆体験を伺いました。戦争が始まり小学校でも竹棒で敵を叩け!つつけ!と教育されたこと、戦争の被害が拡がらないように建物をこわす作業を子どもが大人に交じってしていたこと、生き抜くためにヤクザのお兄さんのもとで働く子どもがいたこと、闇市にたくさんの子どもたちが集まっていたこと、新聞紙を食べて飢えをしのいでいたこと、原爆のことで家族に反対されて結婚を断られたこと…。教科書や資料館では語られない日常生活や、被爆後の人生をどう生活し、どう生き抜いていったのかを語ってくださいました。

 「本当の戦争の姿を知ってもらいたかった」と川本さんは言います。でもこうして語り部として活動するまでには葛藤があったそう。だまっていれば、自身が被爆者であることも知られないし、周りの人を傷つけることもない。けれど、自分が感じたことや見たことだけを伝えたい。そう決意して70歳で住んでいた岡山から帰広し、75歳から原爆資料館で語り部の活動を始められたそうです。

 最後に、川本さんからメッセージをもらいました。「もっと話し合うこと。本音で真剣に話ができる仲間を作ってほしい。攻め合っても何も生まれない。今はデジタルの世の中でお互いの国のことを知ることができるけれど、目と目を見て向き合って、なぜこうなったのかを考えながら話をしてほしい」

 参加者の方からは、「生の声を聴くことができてよかった」「日々自分たちができることをして、周りにも平和について発信していけたらと思います」「今まで聞いてきたものとは全然違って勉強になった」との感想がありました。

 当たり前だけど、多くの方による復興があったからこそ、こうして日常生活を送ることができるのだと、改めて感じることができました。川本さんのお話を聞きたい方は平和記念資料館へ。毎週木曜日にいらっしゃいます。

■レポート/大田 真奈

■写真/黒木 真由

・先生:川本省三さん

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